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「ムハンマドなくしてカールなし」の視点から西欧中世世界成立を論ぜよ

 7世紀にムハンマドが始めたイスラム教は勢力を拡大していき、661年に成立したウマイヤ朝はジブラルタル海峡を通り西ヨーロッパに侵入。イベリア半島の西ゴート王国を滅ぼし、その後も勢力拡大を図るが、732年トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国に敗れ、ピレネー山脈がイスラム教圏とキリスト教圏を分ける境界となる。
 また、従来キリスト教圏のビザンツ帝国領などであったシリア・北アフリカなどはイスラム圏となり、キリスト教圏は地中海交易を縮小せざるを得ず、水運による物資の移動が限られた自給自足的な内陸農業国家としての性格を強めていく。
 このような人や物資の移動が限られ、イスラム勢力やノルマン人など外圧の中で、人々は結束する必要に迫られた。土着の人々は土着の領主と土地を媒介とした封建的主従関係(契約関係)を結び、領主は国王と主従関係(契約関係)を結び、ローマ教皇等宗教勢力と国王等政治勢力は宗教的権威と政治的庇護を相互に与えあう封建的関係が形成していく。この一環として800年にカール大帝はローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝として戴冠される。
 このようにして西ヨーロッパの中世世界が形作られ、成立していったと考えられる。

(注)これは歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

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